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商売繁盛・福徳招来のシンボル【福助人形】 飾っておくだけで‘福来たる!!’

京都の人形作家、吉岡よし先生が作成したオリジナル作品です。


人形の肌の部分は正絹ちりめんを使用していますが、他の部分は昭和初期の着物生地を使用しています。
顔は筆にて手書きによるもので、同じ着物生地もなく表情も手書きのものゆえ一点物です。


手作り福助人形


【 福助とは 】


福助人形(ふくすけにんぎょう)は、幸福を招くとされる縁起人形。
正座をした男性で、大きな頭とちょんまげが特徴。頭が大きな人の比喩にも用いられています。 元々は、文化元年頃から江戸で流行した福の神の人形叶福助。
願いを叶えるとして茶屋や遊女屋などで祀られました。
叶福助のモデルとなった人物も実在したと言われています。


★ご利益★ 商売繁昌・開運・金運・家内安全など

【 福助の由来 】


福助の由来に関しては諸説が有り、その中でも有名なのが三説あります。

■ 京都 呉服屋大文字屋 説
八代将軍吉宗の頃、伏見の百姓下村三郎兵衛に彦太郎という子供が生まれました。
この子は頭が大きく背が低くて耳たぶが垂れ下がっていましたが、9歳で上長者町の大文字屋に奉公に出て主人に認められ、やがて独立して伏見京町に大文字屋の支店を出すまでになり、名前も彦右衛門と改め名古屋からお常という嫁をもらい 妻の実家の名古屋で木綿の足袋・腹がけと「大」と染めた手ぬぐいを売り出したところ、これが大あたり あっという間に大店の主人に出世しました。
これを見ていた伏見の人形師たちが彦右衛門の人形を作り、福助と名づけて売り出したところ、これも大流行したというものです。

■ 摂州 百姓 佐五右衛門の息子 説
百姓佐五右衛門の息子、佐太郎は頭が大きく背が低かった為その容貌をからかわれて村に居たたまれなくなり、小田原宿で「福助」の名前で見世物に出たところ これが人気を呼び、旗本に30両で買われ、屋敷に奉公に上がりました。
すると彼のおかげでその旗本は色々と幸運に恵まれ、佐太郎はその屋敷に奉公していた女中と結婚しその絵姿を描いて売り出したら、これが又流行したとのことです。
享和4年(1804)のことだとされます。

■ 伊吹 もぐさや亀屋 説
滋賀の伊吹山のふもとの柏原という宿場の代々伝わるもぐさや「亀屋」に番頭福助がいました。
この番頭は正直一途で、お店の創業以来伝えられた家訓をまもり、ふだんの日から裃を着け、扇子を手放さず道行くお客さんを手招きしてもぐさをすすめ、常にお客に対して感謝の心をあらわし、おべっかを言わず真心で応え続けました。
そのため商売が大いに繁盛し、主人もまた福助を大事にしました。
やがてこの話が京都にも広まり、伏見の人形屋が耳にして福を招く縁起物として  福助の姿を人形にうつしたのが始まりといわれています。


【 福助の家族 】


福助の苗字は、「願いがかなう」に掛けたもので、「叶」といわれています。
十辺舎一九の「叶福助噺」では、大黒天が娘の吉祥天の婿に福助を迎えたという話が載っています。
二人の間には福蔵・福六という二人の子供ができました。
また福助はお多福とも懇ろの仲になり、愛人にしたのだともいいます。
福助の母は、おかめであったとされ、福助とお多福が仲良く並んで座っている人形や、おかめが福助を背負った人形などもあるそうです。

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1件〜2件 (全2件)

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